前回の記事で日本の教育について少しだけ触れたことがあったので、今回は僕がインドにいる時に現地人から聞いた、インドの教育についてお話します。
あくまで個人のいち体験であり感じたことである、ということを前提に読んでいただければと思います。
カオスな国の根底にある教育
首都デリーにて、僕はカウサーという現地の人と仲良くなりました。2日間だけだったけど、毎食一緒に飯を食べたりお勧めスポットに連れてってもらったりしました。そこで僕は、インドにくる前からインド人にあることを聞いてみたいと思っていたので、彼に尋ねてみました。
「人に迷惑をかけてもいいから自分の好きなことをしろ、その代わり人の迷惑を許しなさい。インドはそういう教育だって聞いたことがあるんだけど、実際どうなの?」
カウサーはそうだと言いました。だからインド人はみんな自由にやるんだと、彼は笑顔で続けました(もちろんインド人14億人全員がそうではない)。
訪れたことがある人はわかると思いますが、インドという国は本当に独特で、世界のどの国とも違う雰囲気や匂いがします。旅行者は僕たちの常識を覆すような行動をとるインド人を見て、世界の大きさを感じることでしょう。人によってはそんなインドが大好きになり、人によっては・・・
ただ、そっちのインパクトが強すぎてあまり注目されませんが、みんなが自由にできるのは、ある意味まわりがそれを許しているからこそ、だと思ったりもします。私利私欲を抑えながら共存する日本人とは対極の価値観。
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チケット売り場で並ぶ人はいないし、やっとこさ窓口で指定席特急券を買っても、いざ乗り込むとその席で知らないおばさんが寝てたりするし、何食わぬ顔で自分の上に座ってくるお兄ちゃんもいます。バスも電車も1〜2時間は平気で遅れます。
日本は世界でも有数の我慢大国だといわれることがありますが、カウサーの話や実際にインドで体験したことを振り返ると、インドにも全然違う種類の我慢が存在しているような気がしました。(おそらく本人たちは、我慢しているという感覚はないんだと思いますが。そして緊急事態のような時は全く話は別。)
下の写真みたいに、知らない人が自分の車に足乗っけて休憩してたら、どう思うでしょうか?
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自由・迷惑・我慢(許容)の関係
インドの教育の価値観を聞いて、そして実際に1ヶ月弱滞在して、僕は自由と迷惑と我慢・強要の関係について考えさせられました。
今のご時世、何が正しくて何が間違っているかわからないことが多すぎて、簡単に他人を批判することができます。でも、無闇に他人を攻撃するのはあまり前向きな行動とはいえないと僕は思っています。
ちっちゃいことでいいからまずは他人のことを許してみよう、なんて思ったりする。
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そしてそんなインドが、カースト制度からくる身分差別はまだまだ残っていると聞きます。どんな土地であっても平和で穏便にみんなが共存できる社会があることを願います。
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